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中国に存在する『日本人公墓』を知ってますか?
中国ハルピン市郊外の方正県に、5000人近い死者たちを葬る『日本人公墓』が存在しています。日本の敗戦の混乱により、旧満州に置き去りにされ、亡くなった人たちのお墓です。
1963年の春、食糧危機に陥った中国政府は、荒地を開墾して畑にし、自分たちで食糧を求めるよう命令を発しました。中国人と結婚した残留婦人・松田ちゑさんは、その荒地を探す中で、累々たる白骨の山を見つけました。それは、1945年の秋から翌年にかけて亡くなった日本人たちの遺骨だったのです。松田さんは、なんとかして骨を拾い埋葬したいと県政府に願い出ました。その願いは県政府から省政府へ、そして中央政府へ、当時の外交部長である陳毅氏を経て、最終的には周恩来首相のもとまで届き、日本人公墓の建立が許可されました。
黒竜江省政府は、ハルピン市の朽ち果てた外人墓地の、所有者がわからない膨大な墓石の中から、一番大きく一番きれいなイタリア製の花崗岩を探し出してくれました。優れた書家に「方正地区日本人公墓」という碑銘を刻んでもらった高さ3.3mの石碑は、2日がかりで、ハルピンから方正県まで運ばれました。まだ貧しかった中国ですが、それでも大金を投じて日本人公墓を建立してくれたのです。66年から荒れ狂った文化大革命の時、紅衛兵たちがこの日本人公墓を破壊しようとしました。しかし省政府は、「これは日本軍の墓ではない。日本の庶民の墓である。彼らに罪はない」と紅衛兵の要求を退けました。
なぜ方正(ほうまさ)なのか? なぜ『星火方正』(せいかほうまさ)なのか?方正と書けば日本人なら「ほうせい」と呼ぶのが普通でしょう。しかし黒龍江省には宝清という県があり、旧満洲にいた日本人たちは、「ほうせい」と呼ぶ場合は宝清を指しました。その宝清と区別するために、方正を音訓混じりで敢えて、「ほうまさ」と呼び、今でもそう読んでいます。戦後も彼の地で過ごした人々にとって方正はあくまでも「ほうまさ」なのです。私たちも彼らの思いを受けて、会の名称を「方正友好交流の会」としました。 また、星火とは、とても小さな火のことでです。私たちの活動も今は小さな野火にすぎませんが、やがて「燎原の火のように方正から平和と人類愛的な友愛の精神が広まるのだ」という意味を込めて会報の名前にしました。 方正日本人公墓が私たちに問いかけるものとは…私たちの会報『星火方正(年2回刊行)』には、「公墓」に関する日中関係者らの声が凝縮されています。 |
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「方正友好交流の会」事務局
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