方正友好交流の会
トップ | 会報『星火方正』 | 規約・役員 | 関連書籍 | 入会案内
 
星火方正
全てから題名・転載元著者要旨・書き出し
 
巻号・発行年月指定

[ 全ての既刊号を表示 ]

第36号(2023年5月発行) / 1冊28記事 を表示しています。

  第36号(2023年5月発行) 第36号(2023年5月発行)表紙

﨑山ひろみさん:「一九四六」の向こう側―2023年2月11日 満蒙開拓平和記念館「一九四六」展 オンライン事前学習会より1
三沢亜紀(満蒙開拓平和記念館事務局長)
いろいろな体験談をお聴きしてきた。それぞれの満州がある。ということは、それぞれの葫蘆島もあるのだろう。満州からの日本人の引揚げを描いた王希奇「一九四六」。あの作品に描かれた一人ひとりの向こう側にどのような物語があり、どのような思いで葫蘆島の港に立ったのか。展覧会開催に向けて、4回連続オンライン学習会を実施した。第1回目は満州研究の第一人者である加藤聖文氏に満州からの日本人引揚げの歴史的背景を学び、2回目から体験者3人にお話を聴くというプログラム。3人のうちの2人は開拓団ではない方にお願いしてみた。そのうちのお一人、高知市在住の﨑山ひろみさんのお話をご紹介してみたい。 /// 続きは本誌ご参照
私の「一九四六」2
渡辺一技
「やっとここに来ることができた!」王希奇氏の大作『一九四六』の前に立って、私はそう思った。敗戦翌年の1946年、中国・遼東半島の港、葫蘆島で引き揚げ船への乗船を待つ避難民の群れを描いた大作は、「北とぴあ」地下展示室で公開されていた。「やっと来ることができた」場所は、展示会場のことではない。そこに描かれた地、葫蘆島のことだ。母から幾度となく聞かされた「コロ島」という地名。それは「葫蘆島」と書くのだと知ったのは高校生の時だった。 /// 続きは本誌ご参照
王希奇「一九四六」東京展を見て浮かんだ風景10
戸塚章介
中国の画家王希奇の「一九四六」東京展を見に行った。3m×20mの巨大画に圧倒された。日本への引揚げに望みを託して、葫蘆島にたどり着いた群衆。女性や子供が目立つ。私はかつて丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を見たことがあるが、それと同じ感銘を受けた。画の中央に遺骨を首から下げた少年が描かれている。頬肉の落ちた顔を斜め上へ向けて、何かを訴えるかのような視線。私は強い既視感にとらわれた。あの時の私と同じではないか。私も1946年6月、葫蘆島から引揚げ船に乗ったのだ。 /// 続きは本誌ご参照
巨大画「一九四六」を拝見して13
中島幼八
葫蘆島からの引揚げ第一船は一九四六年六月に出ている。当方の八丈開拓団については、石井団長の報告書では次のように記録している。 /// 続きは本誌ご参照
小学生から99歳まで2500人以上が見学、今こそ戦争反対の声を大に:「王希奇「一九四六」東京展」の報告15
佐久間徹
「王希奇「一九四六」東京展」が1月12日から15日までの4日間、東京都北区にある「北とぴあ」の地階展示ホールで開催されました。展覧会には、11日のオープニングセレモニーを含め2417人(再入場者を加えると2500人以上)が見学。見学者はアンケートに回答した622人をみますと、北は山形県から南は長崎県までの14都府県の小学生から99歳までの方が見学されました。 /// 続きは本誌ご参照
偽満皇宮博物院内にある御用防空壕と建国神廟20
東海林次男
2016年10月、「ソ満国境」を訪ねる旅(8日間)に参加をした。その時、長春の偽満皇宮博物院見学の最後の方で、御用防空壕と建国神廟の礎石があることを知った。ところが、ツアー旅行のため、それらは素通り。防空壕入口と地下に通じる階段を走って確認し、さらに建国神廟のご神体を避難させる防空壕もあることを案内板で知った。 /// 続きは本誌ご参照
戦地より家族に送られた楽譜:佐倉晴夫軍曹と増田清一大佐28
大野正夫
神奈川県立小田原高校同期卒業の最後の同窓会が、傘寿(80歳)に予定されていた。コロナ禍ため2年遅れで、2022年5月に小田原駅に隣接するホールで開催された。400名の同期卒業生であったが、参加者は50数名であり、一抹の寂しさがあった。しかし、参加者には元気者が多くて和やかな会が進行していった。会も終わり近づいた時に、DVDで「戦地より家族に送られた楽譜「渚」の曲が映像とともに放映された。哀調のある良い歌だなと思いつつ視聴した。この同窓会の席では、小田高11期生傘寿記念集「樫の香」A4版164頁の冊子が配られた。 /// 続きは本誌ご参照
麻山事件の現場に建つ「永世不忘養育之恩」碑35
一條三子
昨2022(令和4)年10月15日、竹内良男氏が主催する「ヒロシマ講座」で大類善啓氏の講演「方正友好交流の会を立ち上げて」を聴講しました。最近しばしば耳にする「方正地区日本人公墓」について詳しく学びたかったからです。その過程で隣に1984(昭和59)年に建立された「麻山地区日本人公墓」の存在を知り、意表を突かれました。 /// 続きは本誌ご参照
「満州分村移民と部落差別」の刊行によせて45
エイミツジモト
2022年2月以来、ウクライナとロシアの激突によって、わたくしたちは想像をはるかに超える厳しい世界情勢や戦闘のすさまじさを前に、言葉をなくす日々がつづく。 /// 続きは本誌ご参照
張龍龍著『中国残留孤児第二世代の移住と定着:政策の展開と家族戦略・ライフコース』について55
飯塚靖
中国残留孤児に随伴して日本に移住した子供たち(残留孤児第二世代)が、どのような形態で移動を実現したのか、言語や文化の違いを乗り越えいかに日本社会に定着したのか、その過程でいかなる困難に直面し、現在はどのような問題を抱えているのか、これは日本で暮らす私たちが当然知らなければならないことである。本書は新進気鋭の中国人研究者による残留孤児第二世代の移住と定着に関する研究書であり、上記の我々の問いに対して、第二世代の人々の生き様がリアルに提示されている。著者の張龍龍氏は1988年生まれ、2019年に早稲田大学大学院文学研究科社会学コース博士課程を修了し、現在は北京工業大学文法学部に勤務しており、本書は博士学位論文を基に刊行されたものである。 /// 続きは本誌ご参照
日本近現代史から考えるウクライナ侵攻57
木村護郎クリストフ
2022年2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻開始から既に1年以上が経った。このヨーロッパにおける戦争を、日本に住む者としてどうとらえたらよいのか、日本の歴史を手がかりにして考えてみたい。 /// 続きは本誌ご参照
中国敵視・安全保障政策の危うさ:“台湾有事”に煽られず自主外交を63
川村範行
岸田政権の安全保障の大転換は危うさを孕んでいる。平和憲法の専守防衛方針をかなぐり捨てて敵基地攻撃能力の行使を認め、増税による防衛費の倍増を決め、軍事大国へと突き進もうとしている。国家と国民の行方を左右する重大な政策転換について、2022年12月の国会閉会後に安全保障関連3文書の改訂を閣議決定し、岸田首相自ら訪米してバイデン大統領のお墨付けを得たとして既成事実化するのは、憲法と議会制民主主義の原則を踏みにじるものだ。 /// 続きは本誌ご参照
政府の原子力政策転換について~「A君への手紙」68
椎名鉄雄
A君、ご無沙汰を続けておりますがお元気ですか。今日は久しぶりに手紙を書かずにいられなくなりました。私の中に許しがたい感情が湧きあがってきたのです。私の思いを記しますので読んでみてください。 /// 続きは本誌ご参照
この国に生まれたるの不幸72
横井幸夫
2012年7月23日の朝日新聞「声」に載った投稿だ。「悪口言う人 悪い所持っていく」(主婦 織戸郁子(神奈川県大和市 58))私の兄は両手足の指が一本もない。私も一本しか指がない、障害者手帳1級と2級の兄妹です。私達が幼い頃は障害者が外に出るにも偏見があり、出会う子どもたちから心ない言葉でからかわれた。 /// 続きは本誌ご参照
山宣と私76
井出亜夫
1929 年(昭和4年)、治安維持法改悪に反対し時の権力の手先によって暗殺された山本宣治「山宣」は私にとって歴史上の人物です。しかし、それから20年余り後、私の叔父井出武三郎が山宣の次女美代さんと縁を得てから、山宣は単に歴史上の人物だけでなく親戚の一員となり、叔母美代さんの長女民子さん、次女文子さん(山宣の孫 永島民男さんは文子さんの夫)とは従姉妹の関係となりました。 /// 続きは本誌ご参照
「ミロンガ」で抱いた想い:タンゴをめぐり交差する群像80
森一彦
大類善啓の新著『タンゴ タンゴ タンゴ』(批評社2023年2月10日刊)を読了した。本書を読んで、どうしても行きたくなった店がある。神田神保町のタンゴ喫茶「ミロンガ」だ。かつて大類に連れられて訪れたことはあったが、時が積み重なったようなレンガ造りのミロンガのなかで、タンゴを聴きながら本書をぺらぺらと捲ってみたかった。1960年代半ば、当時大学生だった大類が、入手したばかりの古本を抱えて入店しひとり思索に耽っていたように。 /// 続きは本誌ご参照
羽田澄子にとっての満洲とは・・・:『タンゴ タンゴ タンゴ』を上梓して思い出すこと86
大類善啓
この2月、『タンゴ タンゴ タンゴ』というタイトルの本を上梓した。サブタイトルは<情感 Sentimiento織りなす魂のしらべ>である。この本については本誌の前頁で森一彦が詳しく書いてくれたので、ぜひお読みいただければ嬉しい。森も藤沢嵐子について紹介したが、嵐子の満洲への思いとは対極的な関係にあるような、羽田澄子さん(以下、敬称略)の満洲体験に触れてみたい。本会の初期からの会員や支援者の方々はご承知だと思うが、羽田は本誌によって方正日本人公墓の存在を知り、それは記録映画『鳴呼満蒙開拓団』に結実した。 /// 続きは本誌ご参照
甘粕正彦について88
大類善啓
たったひとりで古本業をやっている有馬浩一さんとは、神保町にある小さいが、それなりの歴史がある居酒屋でたまに顔を合わせていたが、コロナ禍になってそれもご無沙汰だ。しかし、溜まった古本を処分したいと有馬さんに電話をすると、すぐ飛んで来てくれる。また、お互い〝神保町の住民〟であるので、通りでばったり会うことはある。 /// 続きは本誌ご参照
中国・葫蘆島市から76年前105万人引き揚げの地に感謝!91
長澤保     転載元:日中友好協会『日本と中国』(2022年9月1日)
日中国交正常化50周年を迎えた。世界各国は新型コロナウイルス感染症感染拡大で、防疫に全力を注いでいる。 /// 続きは本誌ご参照
「面白い」は向こうからやってくる97
藤原作弥     転載元:『きらめきプラス Voluteer』(2002年12月号)
時事通信社解説委員長、日本銀行副総裁、日立総合計画研究所取締役社長と異色の経歴ながらノンフィクション作家としても数々の著書があり、現在も執筆を続ける藤原作弥さんに人生100年時代、人生を振り返り、楽しく生きるヒントを伺いました。 /// 続きは本誌ご参照
今こそ人類人主義を!:国際主義を超えてエスペラントの内在思想を深めよう98
大類善啓(方正友好交流の会理事長)     転載元:ODH草の根歯科研究会『はのねくさのね』(2023年4月発行)
方正は黒竜江省ハルピン市の東180㎞ほどにある。宝清県と区別するために、旧満州の「開拓民」たちは、そこを「ほうまさ」と呼んだ。この方正の地に、国策で満州に渡った「開拓民」たちの死者が眠る公墓がある。 /// 続きは本誌ご参照
刊行挨拶:『タンゴ タンゴ タンゴ 情感 Sentimiento織りなす魂のしらべ』を上梓して100
大類善啓     転載元:日中文化交流市民サークル『わんりぃ』(2023年4月)
「わんりぃ」の会員の方々がタンゴと聞けば、たぶん「藤沢嵐子というタンゴ歌手がいたな」と思い出される方も多いのではないかと思います。タンゴとは何かと説明していくと長くなってきますので、ここではひとまず、19世紀後半にアルゼンチンの首都プエノスアイレスにやってきたイタリアやスペインの移民たちから生まれた音楽と踊りと言っておきましよう。 /// 続きは本誌ご参照
坂本龍一さん、本紙にメッセージ:「原発 時間経つほど危険」102
小椋由紀子     転載元:東京新聞(2023年3月15日付)
音楽家・アーティストの坂本龍一さん(71)が、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から12年となったことに合わせ、本紙にメッセージを寄せた。政府が原発回帰の方針を示していることに関して「なぜこの国を運営する人たちはこれほどまでに原発に固執するのだろう」と批判。コンクリートが劣化し、テロやミサイル攻撃の標的になりかねないとして「むしろ時間が経てば経つほど危険性は増す」と指摘している。 /// 続きは本誌ご参照
ハンセン病音楽家:ハーモニカバンドリーダー 近藤宏一さん 足跡に光を103
石原真樹     転載元:東京新聞(2023年4月12日付)
放送中のNHK連続テレピ小説「らんまん」の音楽を手がける作曲家の阿部海太郎さん(44)が、ある音楽家の足跡を追っている。ハンセン病療養所内でハーモニカバンドを率い、多数の楽曲を残した近藤宏一さん(1926~2009年)だ。音楽家としては無名ながら、その活動には「音楽の本質について考えるべきものがたくさんある」として光を当てたいという。 /// 続きは本誌ご参照
教育の力で私は戦う:日本に留学経験 ミャンマー人男性104
藤川大樹     転載元:東京新聞(2023年4月17日付)
広島大大学院で修士号を取得したミャンマー人の男性がミャンマー東部カイン州で学校を運営し、避難民や国軍統治下の学校に通いたくない子どもたちに勉強の機会を与えている。「軍事政権を終わらせ、民主主義の国を造りたい」。武器ではなく、教育支援を通じて国軍と戦う。 /// 続きは本誌ご参照
人間を侮辱する原発にNO!105
鎌田慧     転載元:東京新聞(2023年4月18日付)
大江健三郎さんと坂本龍一さん。この日本を代表する作家と音楽家は、原発に対する痛烈な批判者であり、運動家でもあった。大江さんは三月上旬、坂本さんは三月下旬、亡くなった。偉大な個性が同じ月に相前後して世を去ったのは、惜しみても余りある。ふたりは「『さようなら原発』一千万署名市民の会」の「呼びかけ人」として集会に参加し、原発政策とそれをすすめる政治家たちへの批判を加えていた。 /// 続きは本誌ご参照
方正日本人公墓が私たちに問いかけるものとは―「方正友好交流の会」へのお誘い106
方正友好交流の会
1945年の夏、ソ連参戦に続く日本の敗戦は、旧満洲の「開拓団」の人々を奈落の底に突き落としました。人々は難民、流浪の民と化し、真冬の酷寒のなか、飢えと疫病によって多くの人たちがハルピン市郊外の方正の地で息絶えました。それから数年後、累々たる白骨の山を見た残留婦人の松田ちゑさんは方正県政府に、「自分たちで埋葬したいので許可してください」とお願いしました。その願いは方正県政府から黒竜江省政府を経て中央へ、そして周恩来総理のもとまでいき、「方正地区日本人公墓」が建立されました。 /// 続きは本誌ご参照
報告/編集後記107
大類善啓
会員及び支援者の皆さんのあたたかいご支援で、36号もなんとか完成し、お送りできることを喜んでおります。また、寄稿いただいた方々を含め、皆さま、ありがとうございました。制作費用の関係で原稿に入っている写真はすべてカラーにできませんでしたが、ご理解のほどお願いします。 /// 続きは本誌ご参照
 
トップ | 会報『星火方正』 | 規約・役員 | 関連書籍 | 入会案内
「方正友好交流の会」事務局

〒101-0052 東京都千代田区神田小川町3-6 日本分譲住宅会館4F 一般社団法人日中科学技術文化センター内
Tel: 03-3295-0411 Fax: 03-3295-0400 E-mail: ohrui@jcst.or.jp