方正友好交流の会
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星火方正
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第30号(2020年6月発行) / 1冊21記事 を表示しています。

  第30号(2020年6月発行) 第30号(2020年6月発行)表紙

開館満7周年を迎えて―「コロナ禍」の中で1
寺沢秀文(満蒙開拓平和記念館館長)
昨年末から中国・武漢より始まった「新型コロナウィルス」による災禍は年を明けてから日本、そして世界中へと拡大し「パンデミック(世界的大流行)」と化しました。日本国内でも「緊急事態宣言」、「外出自粛要請」等、戦後では初めての異常事態となり、我が満蒙開拓平和記念館も4月初めより臨時休館を余儀なくされ、5月末までの休館延長となっています(6月1日より再開予定)。 /// 続きは本誌ご参照
「日本とドイツの引揚者・帰国者の戦後」シンポジウム報告11
三沢亜紀
2019年10月19日。記念すべきセミナー棟竣工式当日、遠くドイツから引揚げ体験者女性3名をお迎えし、シンポジウム「対話から学ぶ歴史と未来日本とドイツの引揚者・帰国者の戦後」を開催した。この開催経緯と当日の様子について書いてほしいと声をかけていただき、改めて経緯についてさかのぼってみると、シンポジウムのキーマンであった上智大学教授・木村護郎クリストフ先生と方正友好交流の会の大類善啓さんとの出会いに辿りつくのである。お手元にある方は、『星火方正』会報23号2016年12月刊を今一度開いて読み返していただきたい。めぐりめぐって繋がっていく人との出会いから生まれたシンポジウム。まずは開催経緯から辿ってみたい。 /// 続きは本誌ご参照
「満洲国」のエスペランティストたち―「王道楽土」の一断面16
石川尚志
かつて少なからぬ日本人にとって「満洲国」は壮大な「実験国家」、「計画国家」だった。中国東北地方と内モンゴルの悠久な歴史と現に住む諸民族を無視して、白地図を広げると現在の日本の4倍近い広さになる。そこに自由に鉄道網と道路網を広げ都市を描く。鉱物資源と広大な土地があるので豊かな国になるだろう。国には元首と人民が必要だ。好都合なことに、満洲から出た清王朝の最後の皇帝で辛亥革命で倒された溥儀がいる。人民は新たに定義して五族、即ち、満洲、中国、モンゴル、日本、朝鮮の五民族を平等に国民とする(ただし国籍法は制定されず、法的な意味の国民は不在)。行政機構、産業、その他の制度は日本を手本にするが、伝統に縛られ既存権益にまみれた組織は持ち込まない。国造りの標語は「五族協和・王道楽土」だ。このような壮大極まるビジョンに胸を躍らせて「理想国家」建設に邁進した多くの日本人がいた。満洲国は「私の作品」とうそぶいた、今の安倍首相の祖父、岸信介もその一人だった。 /// 続きは本誌ご参照
引揚者となる人たちと歌―そのとき歌い、そのとき聴いた22
藤川琢馬
終戦後、引揚者や抑留帰還者が祖国の地を踏んだとき、彼らの多くにとって、‘焼け跡に流れる’「リンゴの唄」が、まず耳に入ってきたであろう。終戦後2か月も経たない昭和20年10月10日、映画「そよかぜ」が封切られ、21年1月、挿入歌「リンゴの唄」のレコードが発売された。庶民が如何に娯楽に飢えていたかという状況下ではあるが、この歌に対する、内地の人々がまず感じたことは戦後の明るさと解放感であった。ところがこれとは違って私は、違和感、さらには怒りを覚えたというある満洲引揚者の証言に接し、驚いた。引揚者たちの、終戦後引揚げに至るまでの体験は、内地においても多くの人が空襲に遭い、家族と死別し、死と隣り合わせの苦難を経たという体験と、苦難においては同様であっても、それぞれに異質な面があった。両者が遭遇する時間的・空間的な差異のなかの異質な体験は、同一の歌に対して受け止め方を、全く違ったものにしたということを知ったのは、ショックであった。 /// 続きは本誌ご参照
「方正日本人公墓と満蒙開拓団そして日中戦争を勉強する資料」の作成にあたって32
岡邑洋介
「方正日本人公墓と満蒙開拓団そして日中戦争を勉強する資料」というのを作成しました。きっかけは、2018年10月4日から8日まで私の所属する関西紫金草合唱団をはじめ、全国の有志42人でハルビン市を訪問しました。2日目、黒竜江省歌舞劇院音楽庁の大ホールで地元の合唱団と約2時間ほど合唱交流しました。(写真)その様子は当日「42人の反戦人士『紫金草物語』を歌い反戦を誓う」と「ハルビン日報」電子版で数ページにわたり紹介されました。 /// 続きは本誌ご参照
満洲で育った私、夢は方正訪問だ―ぜひ、中国人と対局したい!36
長尾寿
今、日本では、新型コロナウイルスから命と暮らしを護るということで総理大臣談話により突然、日本中の学校が休校となり子どもたちは行き場を失い、親は長い春休みの対応に苦慮しています。そのため低学年の小学生は学校で一時預かりをし、児童クラブ(学童保育)もそのあとの受け入れに大変です。 /// 続きは本誌ご参照
水葬41
柳生じゅん子
毛布にくるんだものが静かに降ろされ 船が汽笛を鳴らした 甲板に並んだ人達が 頭を下げ 敬礼し 手をふって見送った もう一度 長い汽笛が響き渡り あたりを船は旋回した /// 続きは本誌ご参照
本は開げないと燃えない43
柳生じゅん子
風呂を焚こう と父が言った 日本への引揚げが決まった時だった 十歳の少女は それから三日間釜の番をした /// 続きは本誌ご参照
この空は、チベットに続く45
渡辺一枝
子どもの頃から、なぜかチベットに惹かれていた。幼い私は「チベットに行きたいなぁ」と口ずさむことがあり、それであだ名は「チベット」だった。どんな所で、どんな人たちがいるのか何も知らず、ただ、いつか誰かに聞いた「チベット」という響きに憧れていたらしかった。そこに住む人たちのことを初めて知ったのは、中学2年生の時だった。川喜田二郎さんたちが西北ネパールのドルポに入り、植生や動物などの自然環境、また、そこで生きるチベット人の暮らしを調査した報告が新聞に載った。大きな見出しには「鳥葬」の文字があり、私は夢中で記事を読んだ。それまで漠とした憧れだったチベットだが、記事を読んで、そこに生きる人たちの文化や風習にいっそう強く惹かれるようになった。 /// 続きは本誌ご参照
新疆ウイグル自治区での国際協力ご紹介54
小島康誉
2020年正月、札幌から戻ると、「方正友好交流の会」の大類善啓理事長より御心こもった便りが届いていました。数年前に小生が講演した際に出席されて以来、『星火方正』を贈呈いただき、拝読し勉強しています。昨年末にも12月号をお届けいただき、申し訳なく拙著『中国新疆36年国際協力実録』を進呈したことへの礼状でした。 /// 続きは本誌ご参照
武吉次朗氏を偲ぶ59
凌星光
武吉次朗氏が去る4月11日逝去された。訃報に接し私はとっさに、彼から「凌さんの元気が羨ましい」と云われた際の彼の姿が脳裏に浮かんだ。氏はここ数年、体調を崩していたようで、日中関係研究会へは殆ど顔を出さなくなっていたから、多分、2年程前のことではなかったかと思う。武吉氏は1932年生まれで、私より半年年長である。青少年時代を中国で過ごし、26歳の時、帰国された。私は日本生まれの日本育ちで、20歳で祖国へ帰り、定年退職後に日本に戻った。日中両国の架け橋になるという点では、お互いに同じ運命にあったと言える。 /// 続きは本誌ご参照
武吉次朗さんと方正友好交流の会60
大類善啓
武吉さんが亡くなったと、ご夫人と二人の娘さんからの連名でメールをいただき、また一人、冷戦時代の日中関係をよく知る人が消えていくのだと思った。武吉さんには、2006年の方正友好交流の総会後の記念講演会で、日本の敗戦後、中国に残留した経験、いわゆる留用体験、そして新中国建国までの貴重な話をしてほしいと依頼の電話を入れたら、予想もしない辞退の言葉だった。理由は自分の自慢話になってしまうからだと言う。自慢話になっても、今、武吉さんが話さなかったら誰が話せるんですか、と説得して承諾してもらった。 /// 続きは本誌ご参照
満蒙開拓平和通信4号(2020年2月)の刊行案内61
方正友好交流の会
この4号をほしい方は、末広一郎さんにご連絡ください。 /// 続きは本誌ご参照
友好訪問―幼年期を過ごした中国は僕のふるさとであり、創作の原点62
ちばてつや(漫画家)/取材・小金澤真理     転載元:日中友好協会『日本と中国』(2020年1月1日)
実在しているかのようなリアルなキャラクターが時代を超え愛され続けているちばてつや氏の作品。多くの人の心に響く漫画の創作には、幼年期の引き揚げ体験とそれに基づく家族の絆、民族を超えた友人たちとの交流が息づいていた。 /// 続きは本誌ご参照
中国残留婦人 貴重な語り 藤沼敏子さんが証言集出版64
中里宏(東京新聞)     転載元:東京新聞(2019年12月22日付朝刊)
第二次世界大戦の終戦時、旧満州(中国東北部)で生死の境をさまよった中国残留孤児や残留婦人。これまで帰国者ら二百人近くのインタビューを続けてきた埼玉県川越市の元短大講師藤沼敏子さん(66)が、証言集を出版した。本人たちの語りを、ほぼそのまま記し、貴重な口述の歴史資料となっている。 /// 続きは本誌ご参照
旧満州の戦争孤児描いた人生65
野呂法夫(東京新聞)     転載元:東京新聞(2020年1月11日付)
終戦後、旧満州(現・中国東北部)で命を落とした戦争孤児たちの悲惨な記録を書き続けた神奈川県小田原市の元小学校教師、増田昭一さん(91)の人生を、教え子がまとめた本「大地の伝言」(夢工房刊)が発行された。 /// 続きは本誌ご参照
東京大空襲75年 ずさん「防空実験」の実相66
石井紀代実、大野孝志(東京新聞)     転載元:東京新聞(2020年3月3日付)
一夜で約10万人が亡くなった米軍の「東京大空襲」から10日で75年。原爆にも匹敵する犠牲者を出した理由の一つに、無差別爆撃を甘く見た日本側の対応がある。典型例が、軍などが全国各地で焼夷弾の消火方法を実演した「防空実験」のずさんさだ。合理性を軽視し精神論でごまかす体質によって、銃後の老人や女性、子どもが亡くなった。民衆の命は、どのように軽んじられたのか。 /// 続きは本誌ご参照
新・20世紀遺跡[72]―満蒙開拓青少年義勇軍訓練所跡(上・下)68
栗原敏雄(毎日新聞)     転載元:毎日新聞(2020年2月27日付)
「蒙開拓青少年義勇軍」の内原訓練所跡(水戸市内原町)近くには「渡満道路」という桜並木がある。訓練所を巣立つ若者たちが植民地・旧満州(現中国東北部)に渡るべく、最寄りの内原駅に向かうために歩いた道だ。陽光の下、貴社がここをたどりながら思い出したのは、画家・宮崎静夫さん(1927~2015年)のことだった。熊本県小国町の農家に生まれた。下城国民学校高等科では級長を務めた。そのころ国策として旧満州への移民が進められていた。41年秋。クラスの担任教師が、生徒たちに義勇軍への参加を勧めるようになった。「先生はクラス全員に呼びかけているのですが、自分を見つめている気がしました」。宮崎さんは生前、記者のインタビューにそう話した。「五族協和」「王道楽土」という満州建国のスローガンを信じてもいた。 /// 続きは本誌ご参照
元復員兵の心の傷 語ろう70
青島顕(毎日新聞)     転載元:毎日新聞(2020年5月10日付)
第二次大戦の元復員兵が負った心の傷について、遺族として伝える活動をしている武蔵村山市中藤3の黒井秋夫さん(71)が10日、自宅前に体験を語り合う「交流館」を開設する。「ごく普通に平和を話せる場にしたい」と話している。 /// 続きは本誌ご参照
方正日本人公墓が私たちに問いかけるものとは―「方正友好交流の会」へのお誘い71
方正友好交流の会
1945年の夏、ソ連参戦に続く日本の敗戦は、旧満洲の「開拓団」の人々を奈落の底に突き落としました。人々は難民、流浪の民と化し、真冬の酷寒のなか、飢えと疫病によって多くの人たちがハルピン市郊外の方正の地で息絶えました。それから数年後、累々たる白骨の山を見た残留婦人の松田ちゑさんは方正県政府に、「自分たちで埋葬したいので許可してください」とお願いしました。その願いは方正県政府から黒竜江省政府を経て中央へ、そして周恩来総理のもとまでいき、「方正地区日本人公墓」が建立されました。 /// 続きは本誌ご参照
報告/編集後記72
大類善啓
コロナ感染危機が進行し、「緊急事態宣言」「外出自粛」なる言葉が飛び交い、本会の事務局がある日中科学技術文化センターもテレワークという名の在宅勤務が基本的な体制になった4月5月の状況下で考えると、編集作業はともかく、会報を発送する作業は難しいと判断せざるを得なかった。発送作業にはいつも10人近くの仲間が集まってくれるが、このような感染危機状況にある中、集まってほしいとは言えない。ともかく千部近い会報を封筒に入れ糊をつけてメール便のシートを張る作業は、それぐらいの人数がいないとはかどらない。その発送作業と、6月7日に予定していた総会と講演会は、まず人が集まってくれないだろうと、3月時点で思った。 /// 続きは本誌ご参照
 
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