方正友好交流の会
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星火方正
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第37号(2023年12月発行) / 1冊89記事 を表示しています。

  第37号(2023年12月発行) 第37号(2023年12月発行)表紙

ザメンホフの予言を思い起こそう:シオニズム運動と訣別したエスペラントの創造者1
大類善啓
10月7日、突如、パレスチナの武装組織であるハマスがイスラエルを襲撃、イスラエルの右派政権、ネタニヤフ首相は直ちにガザ地区を攻撃、たちまち中東問題の根幹の最大の地パレスチナが一挙に世界の中心問題として浮上した。ガザが「天井のない牢獄」になっていることなど、どれだけ日本で報道されていただろうか。正直に言えば、イスラエルがアラブ系パレスチナ人をイスラエル南部にあるガザ地区に追いやり、高い壁を築いて、人々を押し込めている状況を日本のメディアはどこまで伝えただろうか。 /// 続きは本誌ご参照
牧野八郎さん ありがとうございました:天寿を全うされた牧野さん(本会参与)の逝去を悼む4
大類善啓
長年、方正友好交流の会の参与として活動されていた牧野八郎さんがこの4月23日、黄泉の国に旅立たたれました。享年93。文字通り天寿を全うされての旅立ちでした。牧野さんは本会の前身である「ハルピン市方正地区支援交流の会」が1993年5月に発足してから30年間、事務局長そして専務理事として方正に関わり続けて活動を支えていただきました。とりわけ私にとっては、1980年代の初頭からご縁をいただき、本当にお世話になった方でした。 /// 続きは本誌ご参照
中国語を生涯の友として:「三つの中国」の想い出7
神崎多實子
本稿は2023年5月28日(日)、東京一橋の日本教育会館で開催した方正友好交流の会・第19回の総会後に行われた神崎多實子さんの講演記録である。 /// 続きは本誌ご参照
お礼と期待を込めて:方正講演会の感想32
星野郁夫
5月28日の方正友好交流の会総会後の講演会、懇親会、そして「星火方正」第36号の送付に感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございました。今回のご講演をいただいた神崎多實子さんには、新鮮な響きがありました。満州のお話といえば悲惨で暗いお話があたりまえです。ところが重苦しい歴史の中にあっても、かすかな明るい体験もされた方がいたのだと、お話をお聞きしながら、驚きました。 /// 続きは本誌ご参照
戦争の足音が近づく34
石川尚志
数年前に母が107歳で亡くなって、実家を処分するための遺品整理に着手した。母はすでに80歳になった時にいわゆる終活を始めており、若い頃の思い出の品や家族の写真などほとんど残っていなかった。わずかに残った書類の中に1944年に亡くなった父の死にまつわる資料があり、かねて母から聞いていた話を裏付けるものだった。乗船の沈没による所持品の喪失を証する船長の書状、海軍病院の死亡診断書、それに軍医の名刺の三点である。 /// 続きは本誌ご参照
祖母と“トージョー”の話40
笠井正史
それはたしか私が小学2年生(昭和22年)の頃であったかと思う。わが家は東京大空襲でまる焼けとなり、神奈川県の逗子に父親が元気な頃に買っておいた小さな家に住んでいた当時のことである。静岡市に住んでいた母方の祖母は時折自分の長女である私の母親を訪ねてやってきた。私はその祖母の数少ない男の孫なので、元気にしているか気にしてくれていたようである。なにぶん終戦直後のことなので、昨今の「ばあば」のようにお小遣いだのお年玉をくれたわけではなかった。その頃はどこの母親も祖母も懐に子供にやるようなお金の持ち合わせはなく、子供の方もそのようなことは全く期待していないどころか考えも及ばなかったのが実情であった。飴玉の一つも貰えれば嬉しかった時代のことである。 /// 続きは本誌ご参照
伊勢修学旅行とはなんだったのか?42
松岡勲
2022年、韓国の翰林日本大学校のキム・ヒョンアさん(日本学研究所)が「在日朝鮮人の伊勢神宮修学旅行と戦後教育」を発表した。その中で、「戦後も大阪府の小学校の修学旅行では伊勢神宮参拝を続けていたこと、在日朝鮮人児童が戦前と変わることなく伊勢神宮参拝を強制させられていたこと」を明らかにした。 /// 続きは本誌ご参照
93歳の母との中国(旧満洲)旅行50
小野由美子(高知市)
2023年6月14日、出発までの数々の難問を通過し(ビザ申請が大変だった)、高知空港を出発、伊丹から関空へ移動し、空路中国瀋陽(旧奉天)へ。今回の旅は、2021年冬に開催した王希奇展でお世話になった「一九四六」を描いた画家の王希奇先生の「ぜひ瀋陽にいらっしゃい。歓迎いたします。葫蘆島にもお連れできますよ。」と言ってくださったことから始まっています。 /// 続きは本誌ご参照
93歳 満州の悲劇「次世代へ」57
八田大輔     転載元:高知新聞(2023年8月15日付)
1946年夏、旧満州から日本に船で引き揚げるため、港に列をなした日本人たちがいた。 /// 続きは本誌ご参照
『伝言(中脇初枝著)』:気づけなかった過ち語る58
小林エリカ(作家)     転載元:東京新聞(2023年10月14日付)
満州、新京敷島高等女学校に通う「わたくし」が学徒動員で作った、紙風船。 /// 続きは本誌ご参照
書かないと“なかったことに”:戦争体験者の苦労や思い59
金子徹     転載元:しんぶん赤旗(2023年10月1日付)
作家の中脇初枝さんが長編『伝言』を出しました。終戦間際の「満州」を舞台にした物語です。作品に込めた思いを聞きました。 /// 続きは本誌ご参照
日中学術交流での菊地昌典氏の貢献60
凌星光
大類善啓氏の新著『タンゴ タンゴ タンゴ』を手にして、第6章<嵐子よ、安らかに眠れ>まで目を通した時、菊地昌典氏の名前が目に入り、驚いた。大類氏とはこの20年余り机を並べる仲であるが、彼が1968年の若き頃すでに菊地氏に出会っていたとは知らなかったからだ。 /// 続きは本誌ご参照
千島寛写真集「中国残留婦人:家族」―第十回かなしん自費出版大賞受賞並びに全国新聞社出版協議会「ふるさと自費出版大賞」優秀賞にも選出64
千島寛
昨年7月神奈川新聞社より発行された4人の中国残留婦人を内蒙古自治区、黒竜江省、遼寧省で彼女らの生活に密着しながら(永住帰国した方は日本でも)撮影したものです。旧満州に住み1945年の敗戦後、帰るに帰れなかった日本婦人から故郷日本はどの様に見えているのか。人間にとって故郷とは何かを知りたいと思い戦後50年の1995年からコロナ前の2019年の間に22回中国に渡った。彼女たちがどんなところに住みどんなものを食べていたか分かります。 /// 続きは本誌ご参照
北岡裕さんの<朝鮮>に関する寄稿について65
大類善啓
北岡裕さんから原稿をいただく契機になったのは、以下のような<朝鮮>に関する拙文を友人知人に送り感想を求めたが、意外に反応が少なかったからである。ある人は、北朝鮮については知らないことも多く、みんな感想を控えたのではないかというものだった。 /// 続きは本誌ご参照
エリートスクラムから手を伸ばす:本物の北朝鮮とはなにか68
北岡裕
地下鉄の車内で笑う親子。夜会で踊る女性―――。ジャーナリストの伊藤孝司氏の写真展「平壌の人びと」で展示された写真は、軍事パレードやミサイル、浮浪児たちの写真、私たちが思い浮かべる北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国とは一線を画す日常の風景がほとんど。平凡にして斬新な平壌の風景を伝えている。 /// 続きは本誌ご参照
北朝鮮の「貧困と飢餓」74
石丸次郎     転載元:東京新聞(2023年8月23日付)
飢饉の研究でノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者アマルティア・センは1940年代のベンガル飢饉の際、食料が大量に保管されている店の前で飢え死にする人の存在を指摘した。 /// 続きは本誌ご参照
方正日本人公墓存在の意味とは…75
大類善啓(方正友好交流の会理事長)     転載元:『日中文化交流』(2023年9月1日付)
1993年7月、初めてハルピン市方正県にある日本人公墓の前に立った。日本から多大な被害を受けた中国が建立した公墓である。加害者であった日本人たちが葬られている公墓を見て、深く思うことがあった。日本が逆の立場なら公墓を建立するか、と思ったのである。 /// 続きは本誌ご参照
反戦の思い、受け継いで76
奈良新聞     転載元:奈良新聞(2023年5月1日付)
奈良女子大学在学中に国際補助語のエスペラントを学び、反戦を訴え続けた活動家、長谷川テル(1912~1947年)顕影しようと、奈良・長谷川テル顕彰の会(宮城恭子会長)は30日、在学中にテルが訪れた奈良市般若寺町の般若寺で、「訪問記念の碑」の除幕式を行った。 /// 続きは本誌ご参照
奈良・般若寺:長谷川テル記念碑建立76
大類善啓     転載元:『月刊アナキズム』(2023年7月1日付)
ウクライナでの戦争が一年を過ぎ、今や実質的には世界大戦のような様相を呈している。この戦争でも「わが国の領土」「大ロシア民族」なる言葉が頻繁に出てきており、いかに人々が、いや国家が「民族」という観念に拘り、愚かな戦争を繰り返していることか、と思う。 /// 続きは本誌ご参照
遺児・暁子さんがスピーチ:奈良 長谷川テル記念の碑除幕式77
平松悦雄     転載元:『日中友好新聞』(2023年6月1日付)
奈良・長谷川テル顕彰の会は4月30日、奈良市の般若寺で「長谷川テル記念の碑」除幕式を行い、全国各地から170人が参加しました。 /// 続きは本誌ご参照
淑子、澄子、嵐子、そして満州:『タンゴ タンゴ タンゴ』を上梓して思い出すこと78
大類善啓     転載元:国際善隣協会『善隣』(2023年7月号)
「方正」については少しばかり本誌に書いたことはあるが、お読みでない方もいるだろうと思い、改めて簡単に記しておこう。方正とはハルピン市から東へ180kmのところに位置し、黒竜江省にある。旧満洲にいた「開拓民」たちは同じ黒竜江省にある宝清(ほうせい)県と区別するために、ここを「ほうまさ」と呼んだ。 /// 続きは本誌ご参照
今なぜ周恩来か85
村田忠禧     転載元:『日本と中国』(2023年9月1日付)
『周恩来の足跡(監訳:村田忠禧、主編:李海文)』 /// 続きは本誌ご参照
傷ましき腕87
朝日新聞     転載元:朝日新聞(2023年8月15日付)
川崎市岡本太郎美術館蔵 /// 続きは本誌ご参照
抜け殻だった父 心の傷 いま知った88
後藤遼太     転載元:朝日新聞(2023年8月5日付)
1本のホームビデオを再生すると、白髪の男性が映し出された。 /// 続きは本誌ご参照
桐生悠々と空襲90
西田直晃、岸本拓也     転載元:東京新聞(2023年8月4日付)
1933年、「関東防空大演習を嗤ふ」と題した社説で軍部の怒りを買い、信濃毎日新聞を退社した桐生悠々(1873~1941年)。「反骨のジャーナリスト」の名を歴史に刻んだ掲載から、今月11日で90年となる。空襲の時代と日本の破局を予見した評論は何を訴え、どんな教訓を残したのか。全文を専門家と読み解いた。 /// 続きは本誌ご参照
石橋湛山を学び直す92
大杉はるか     転載元:東京新聞(2023年11月1日付)
戦前はジャーナリストとして日本の植民地政策や日独伊軍事同盟に反対し、戦後は衆院議員として米国依存からの脱却を目指し、首相にもなった石橋湛山。世界平和に向け、日中米ソ平和同盟構想も提唱した。没後50年の今年、超党派の国会議員約40人が「石橋湛山研究会」を立ち上げ、その湛山の考えを学び直している。なぜ今、湛山なのか。世界の分断が進むこの時代に、湛山を学ぶと、何が必要なのかも見えてきそうだ。 /// 続きは本誌ご参照
映画「国葬の日」大島監督に聞く94
西田直晃     転載元:東京新聞(2023年9月3日付)
安倍晋三元首相の国葬から間もなく1年。世論調査が示す賛否は割れ、「社会の分断」と国内外で報じられたが、映画監督の大島新さん(53)はその見方に疑念を抱く。「国葬ほどの政治的な重大事でも、日本人の大多数は賛否を明確に主張していない」。16日から全国公開されるドキュメンタリー映画「国葬の日」の製作過程で見えたのは、日本特有の「個の弱さ」「事なかれ主義」による「民主主義の機能不全」だった。 /// 続きは本誌ご参照
書評:「特攻」のメカニズム(加藤拓著)96
一ノ瀬俊也(埼玉大教授)     転載元:東京新聞(2023年9月17日付)
爆弾を積んだ飛行機が乗員もろとも敵艦船に体当たりする航空特攻は、太平洋戦争の生んだ悲劇の象徴として、戦後さまざまな方面から語られてきた。 /// 続きは本誌ご参照
近代日本のゆがみ・矛盾 全て体現:映画監督・森達也さん97
安田朋起     転載元:朝日新聞(2023年11月2日付)
ドキュメンタリー映画と水俣病は、言葉を選ばずに言えば非常に相性がよい。 /// 続きは本誌ご参照
東電の過去と今 重なる責任:処理水放出スタート98
安藤恭子、岸本拓也     転載元:東京新聞(2023年8月25日付)
東京電力福島第一原発事故で生じた海染水を浄化処理した後の水の海洋放出が24日に始まった。岸田政権の強権ぶりに批判が殺到するが、「今に至る事態を招いたのは東電」という事実を忘れてはならない。東電が起こした事故では、かねて多くの放射性物質が海に注がれた。隠蔽が疑われた局面もあった。9月8日に提訴予定の差し止め訴訟でも、東電の「過去」と「今」が焦点になる。原告側は何を訴えるのか。いま、東電に問うべきことは何か。 /// 続きは本誌ご参照
邪悪なる植民地支配:詩で抗う―忖度しない 詩人夫妻の生き方100
石川逸子     転載元:東京新聞(2023年10月8日付)
私たちが暮らす日本は、平和憲法下の今も同調圧力が強い。戦前、たとえ詩であっても、皇国思想に楯突くことは相当な覚悟を必要としたであろうに、敢然と立ち向かった詩人夫妻がいた。新井徹・後藤郁子だ。 /// 続きは本誌ご参照
多様な仏教 LGBTQ寄り添う:僧侶「レインボープライド」出展101
奥野斐     転載元:東京新聞(2023年4月20日付)
誰もが平等に救われると説く伝統仏教の力で、LGBTQ(性的少数者)に寄り添いたい。日蓮宗の若手住職らが22、23日、東京・渋谷の代々木公園で開かれる国内最大級のLGBTQ関連イベント「東京レインボープライド2023」に初めてブースを出展する。「仏教は多様性だ!」をキャッチフレーズに相談ができる場所となる寺の存在をアピールしたいという。 /// 続きは本誌ご参照
他の人と見た目が違っても…:私を生きる――。一歩一歩102
神谷円香     転載元:東京新聞(2023年8月13日付)
人と違う見た目は、周りからの好奇の視線を常に意識させられてきた―。生まれつきの病気で顔に特徴がある山川記代香さん(29)=三重県四日市市出身=が、自身の経験を振り返り、一冊の本にまとめた。タイトルは「大丈夫、私を生きる。」(集英社)。「病気を知ってもらえたら生きやすくなる。そして、他の人たちと同じように悩みを持つ一人だと伝えていけたら」と語る。 /// 続きは本誌ご参照
健常者の世界揺るがす103
東京新聞     転載元:東京新聞(2023年10月25日付)
大阪を拠点に障害者の身体表現を追究してきたパフォーマンス集団「態変」が今年、旗揚げから40周年を迎えた。主宰の金満里さんは「健常者がつくってきた価値観を批判してきたのが態変。私たちは自分たちの身体で、その前提を逆転させようとしてきた」と語る。 /// 続きは本誌ご参照
民族差別の傷 包んだやさしさ104
大嶋辰男     転載元:朝日新聞(2023年11月2日付)
1989年、四川音楽大学の卒業式。歌をうたうと、男性がヘンななまりの中国語で聞いてきた。「あなた、本当にチベット人ですか?」。 /// 続きは本誌ご参照
貧困・男尊女卑と闘った活動家:伊藤野枝の問い 今こそ105
本田由梨枝     転載元:毎日新聞(2023年9月13日付)
婦人解放運動などに身を投じた女性活動家、伊藤野枝(1895~1923年)が関東大震災の混乱のさなかに、28歳で憲兵に虐殺されて16日で100年となる。”恋多き女性”として、奔放なイメージが先行し死後も冷遇されたが、権力に臆さず自分を貫き、貧困やジェンダー平等など現代にも通じる問題を訴え続けた生き様は再評価されつつある。今も多くの人々の心を動かす理由とは。 /// 続きは本誌ご参照
伊藤野枝コレクション(伊藤野枝著、栗原康編)106
杉本真維子(詩人)     転載元:東京新聞(2023年10月8日付)
明治から大正にかけて、女性解放運動、アナキズム、労働運動の旗手として活躍した伊藤野枝の評論集。栗原康によるスピード感あふれる解説が野枝の太く短く駆け抜けた28年の生涯と呼応する。 /// 続きは本誌ご参照
本音のコラム:すってんてん106
鎌田慧     転載元:東京新聞(2023年9月5日付)
100年前の9月。関東大震災下、軍隊、警官隊が朝鮮人や中国人、疑わしい日本人を大量に虐殺した。 /// 続きは本誌ご参照
京都市で暮らすレズビアンカップル106
速水大地     転載元:しんぶん赤旗(2023年8月3日付)
「結婚の自由をすべての人に」―。 /// 続きは本誌ご参照
アイヌ哀史 北海道を歩く107
木原育子     転載元:東京新聞(2023年10月22日付)
日本の先住民族アイヌの民族衣装を「コスプレ」と表現した現職国会議員が、いまだ党の要職を務めている。人権侵害は論外だが、そもそもアイヌ民族の歴史を社会は本当に理解できているだろうか。どれだけ知ろうとしただろうか。明治期に強制移住させられた「樺太アイヌ」や、ダム建設で集落を分断された「北海道アイヌ」の地を巡りながら、歴史の負の遺産をどう乗り越えられるか考えた。 /// 続きは本誌ご参照
知里幸恵が残したもの:アイヌ神謡集刊行100周年記念フォーラムから109
中川裕(千葉大学名誉教授)     転載元:聖教新聞(2023年10月5日付)
アイヌの口承文学を日本で初めて書籍化した『アイヌ神謡集』の刊行から100年。著者の知里幸恵生誕120年を記念するフォーラムが北海道・登別市民会館で行われた(9月17日、知里森舎主催)。今回は、アイヌ語研究者の中川裕・千葉大学名誉教授の講演要旨を紹介する。 /// 続きは本誌ご参照
親を引き裂く悲劇 今も110
朝日新聞     転載元:朝日新聞
旧満州から引き揚げてきたという、もんぺ姿の女の子。 /// 続きは本誌ご参照
空襲被害者の早期救済を111
本吉真希     転載元:しんぶん赤旗(2023年11月12日付)
空襲被害者たちが国の責任で民間被害者を早期に救済するよう、最後の力を振り絞って署名活動を始めました。戦後78年間、謝罪すらなく放置されてきた被害者の思いは―。 /// 続きは本誌ご参照
空襲の傷痕伝える100歳:機銃掃射で左腕切断112
橋本誠     転載元:東京新聞(2023年8月7日付)
78年前の千葉空襲で左腕を失い、今年6月に100歳になった小林愛子さん=愛知県豊橋市。元軍人のような補償もなく、家族と支え合って生きてきた。癒やされない傷痕を抱えた空襲被害者は、どんな戦後を歩んだのか。終戦の日を前に訪ねた。 /// 続きは本誌ご参照
台湾人犠牲 忘れないで:元従軍看護婦 岸田首相に書簡113
台北共同     転載元:東京新聞(2023年8月12日付)
日本のために戦い命を落とした台湾籍の人々のことを忘れないでほしい―。15日で終戦から78年になるのを前に、日本軍の従軍看護婦だった台湾出身の女性が岸田文雄首相宛てに書簡を出すなどし、思いを訴えている。 /// 続きは本誌ご参照
台湾高雄:日台友好伝える少年工碑114
高雄共同     転載元:東京新聞(2023年10月3日付)
第2次大戦中、故郷を離れ日本の軍需工場で働いた台湾少年エの訪日から今年で80年。日本を「第二の祖国」と慕う元少年エらは戦後、日台交流の礎となり、技術力を生かし台湾経済の発展に貢献した。存命の元少年工が少なくなる中、台湾南部・高雄市に8月、退役軍人の団体が顕彰碑を建立。日台の関係者らは歴史を語り継ごうと活動を続けている。 /// 続きは本誌ご参照
「戦争はいけない」 満蒙開拓伝える 広島の末広さん115
青島顕     転載元:毎日新聞(2023年4月10日付)
戦前・戦中に国策の農業移民として旧満州(中国東北部)に渡った満開拓団や満蒙開拓青少年義美軍の犠牲者を悼む約50人が9日、全国各地から多摩市の「拓魂公苑」に集まった。14歳で義勇軍に加わった広島市安芸区の印刷会社経営、末広一郎さん(97)は4年ぶりに上京。「戦争をしたら戦闘以外でも多くの人が死ぬ。戦争をしてはいけない」と訴えた。 /// 続きは本誌ご参照
開拓団悼む 満州のキスゲ116
新潟日報     転載元:新潟日報(2023年8月2日付)
北海道下川町の渓和集落に7月、淡い黄色の花が初めて咲き誇った。上越市の野田良雄さん(99)が「満州のニッコウキスゲ」と呼んだ花だ。野田さんは80年余り前、戦時中の満州(現中国東北部)から、この花の種をポケットに数粒忍ばせて持ち帰った。 /// 続きは本誌ご参照
迫るソ連軍 集団自決を覚悟した開拓団:母は言った「お前は絶対生きなさい」118
戸松康雄     転載元:朝日新聞・新潟版(2023年8月15日付)
終戦も知らず、旧満州(現在の中国東北部)を逃げ惑った。当時13歳。現地住民の襲撃を受け、大勢が殺された。 /// 続きは本誌ご参照
つなぐ戦後78年:逃避行 父は妹弟を手にかけた―語る会でも言葉にしづらい記憶119
清水大輔     転載元:朝日新聞・長野版(2023年9月22日付)
長野市内で暮らす滝沢博義さん(89)は日本の敗戦翌年の1946年、両親や2人のきょうだいと一緒に中国から引き揚げた。これまで何度か敗戦時の体験を地城の学校などで語り、この夏も集会で誰演した。しかし、言葉にするのが容易でない記憶もあるという。 /// 続きは本誌ご参照
つなぐ戦後78年:引き揚げ経験 演劇に120
青山尚樹     転載元:北陸中日新聞(2023年8月12日付)
「あの惨劇の物語が消えてしまってはいけない」。 /// 続きは本誌ご参照
サハリンから問う「国家」:残留調整人を撮影 新田樹さん121
高知新聞     転載元:高知新聞(2023年8月5日付)
約四半世紀前、ロシア・サハリンの街や市場で聞こえてきた日本語。「私たちは戦争の前にここへ来た朝鮮人です」。彼女たちはなぜ今でも日本の言葉を話すのか―。 /// 続きは本誌ご参照
夢見た開拓 目にした地獄122
本田圭介     転載元:毎日新聞(2023年9月22日付)
鬼となり、目の前で最愛の妻や幼い子どもを手にかける上官がいた。寒さと飢えで多くの仲間が死んだ。ロシアによるウクライナ侵攻の約80年前、夢の大地を求めて海を渡った少年を待ち受けていたのは「地獄」の日々だった。 /// 続きは本誌ご参照
祖国の土 戦後78年:耳に残る避難民の叫び123
和泉皓也     転載元:上毛新聞(2023年8月27日付)
生後1カ月に満たない未弟の体はある朝冷たくなり、草むらに埋められた。冬にかけて別の弟も、妹も亡くした。 /// 続きは本誌ご参照
祖国の土 戦後78年:過酷な移動 弟妹失う124
高橋和真     転載元:上毛新聞(2023年8月28日付)
初めに覚えたのは異国の言葉だった。「怒った時は中国語でまくしたて、いつも大人を困らせていた」。 /// 続きは本誌ご参照
祖国の土 戦後78年:仲間の死「戦争は絶対悪」125
須永彪月     転載元:上毛新聞(2023年8月29日付)
背丈ほどある銃を担ぐと、重たい銃身が肩に食い込んだ。当時13歳。 /// 続きは本誌ご参照
書評:昭和天皇の戦争認識(山田朗著)126
石山久男     転載元:しんぶん赤旗日曜版(2023年10月22日29日付合併号)
天皇とは一体何者なのか。憲法が「国政に関する権能を有しない」と定めてから76年もたつが、今でも影響力の大きい存在のようにも見える。なぜそうなっているのか。本書の表題はいかにも難しそうだが、実はその謎を考えるわかりやすい材料を提供してくれる。 /// 続きは本誌ご参照
書評:満蒙開拓団 国策の虜囚(加藤聖文著)127
高杉貞明     転載元:日中友好新聞(2023年7月15日付)
本書の帯には「初めての通史」とありますが、6年前に岩波現代全書として発行されたものに関連年表とあとがきを追加して岩波現代文庫として発行されたものです。 /// 続きは本誌ご参照
書評:関東軍 満州支配への独走と崩壊(及川琢英著)128
加藤聖文(国文学研究資料館准教授)     転載元:日中友好新聞(2023年6月13日付)
「関東軍」といえば独断専行とか下剋上の代名詞のように言われ、さらには満洲国を強権支配しながら最後は民間人を見殺しにしたと評価は散々である。 /// 続きは本誌ご参照
書評:八路軍とともに(永尾広久著)129
稲村晴夫     転載元:日中友好新聞(2023年10月15日付)
本書は、私の敬愛する弁護士永尾広久氏が本年7月に出したものです。広久氏は、たいへんな読書家ですが、自らを「もの書き」と称し、これまで多くの本を出版しています。 /// 続きは本誌ご参照
未来のために過去を知る責任130
柳沼広幸     転載元:朝日新聞・群馬版(2023年8月18日付)
未来のために、過去を知る責任がある。前橋市の公民館で毎月1回のペースで開かれている学習会がある。日本が中国東北部につくった傀儡国家、旧満州国(1932~45年)の歴史や日本からの農業移民などを学ぶ「群馬満豪開拓歴史研究会」だ。 /// 続きは本誌ご参照
七三一 15歳の記憶開封131
形田怜央菜     転載元:東京新聞(2023年8月19日付)
細菌兵器開発や捕虜への人体実験を極秘裏に実行していた旧日本軍の七三一部隊で十五歳の時、「教育部少年隊」に所属していた滋賀県の男性(93)が本紙の取材に応じ、捕虜の収容施設の様子などを証言した。「あんなにつらい体験をするのは、わしらで終わりでいい」。そんな思いで、しまいこんできた記憶の封印を解いた。 /// 続きは本誌ご参照
78年 消せない記憶132
後藤遼太     転載元:朝日新聞(2023年8月15日付)
今も癒えない、戦争の苦しみに向き合う人たちがいる。兵士も、民間人も戦地で様々な体験をしてきた。終戦から15日で78年。証言を直接聴けなくなるときが、一年、また一年と近づいてくる。 /// 続きは本誌ご参照
証言 戦争:生きる母・娘嫁ぎ 老人・子ども置き去り133
小梶花恵     転載元:しんぶん赤旗(2023年9月7日付)
政府の移住政策で旧「満州」(中国東北部)に渡った移民の多くは、日本の侵略戦争によって幾重もの困難を背負い続けることになりました。一家で「満州」に渡った中島茂さん(88)=長野県飯田市=が帰国できたのは終戦の8年後でした。 /// 続きは本誌ご参照
旧満州のアナウンサーだった女性が生きた戦後135
藤沢忠明     転載元:しんぶん赤旗(2023年9月14日付)
言葉で戦意をあおり、国民を戦争に総動員した戦前・戦中のラジオ制作者の責任と反省を描いた「NHKスペシャルアナウンサーたちの戦争」(8月14日放送)の「試写室」をきいていただいた評論家の石子順さん(88)。10歳年上のお姉さんは、敗戦の年に旧満州(現中国東北部)の新京中央放送局でアナウンサーをされていました。1931年、天皇制政府が、中国への侵略を開始した9月18日を前に、平和への思いを寄せていただきました。 /// 続きは本誌ご参照
NHKの戦争責任136
小滝一志     転載元:しんぶん赤旗(2023年9月14日付)
この夏、私は2つの作品に深い感銘を受けた。 /// 続きは本誌ご参照
満蒙開拓の犠牲者悼む137
柳沼広幸     転載元:朝日新聞(2023年9月26日付)
浅間山のふもとにある群馬満蒙拓魂之塔=長野原町北軽井沢=で24日、旧満州(中国東北部)に農業の開拓団や青少年義勇軍として渡り、戦中戦後の混乱で犠牲になった人たちを悼む第49回合祀慰霊法要(拓魂祭)があった。 /// 続きは本誌ご参照
日本人が住民3千人虐殺 平頂山事件138
本吉真希     転載元:しんぶん赤旗(2023年10月8日付)
日本の中国侵略の発端となった柳条湖事件から1年後の1932年9月16日、日本軍は遼寧省撫順市の平頂山村で約3千人の住民を虐殺しました。事件から91年がたち、生存者は全員亡くなりました。平頂山事件とは何だったのか―。中国から遺族が来日して開かれた集会(9月23日、都内。「撫順」から未来を語る実行委員会主催)から考えてみました。 /// 続きは本誌ご参照
終戦前日 満州で日本人避難民1000人超犠牲:葛根廟事件最後の法要139
榊真理子     転載元:毎日新聞(2023年8月24日付)
第二次世界大戦の終戦前日、旧満州(現中国東北部)で日本の民間人が旧ソ連軍の襲撃に遭い、1000人以上が犠牲となった葛根廟事件の慰霊法要が、この夏で幕を下ろした。今年、七十九回忌。事件を体験し、妹を亡くした代表の大島満吉さん(87)は、後牲者の無念を語り継ぐ「代弁者」の役割を長年担い、節目の日を迎えた。 /// 続きは本誌ご参照
満蒙義勇軍 未完の漫画140
山野舞子     転載元:東京新聞(2023年8月24日付)
戦時中に満蒙開拓青少年義男軍の一員として、水戸市にあった「内原訓練所」や旧満州(現中国東北部)で過ごした経験を描いた漫画が、浜松市の男性宅から見つかった。作者は男性と同じ部隊に所属し、戦後は名古屋市に住んだ細井芳男さん(2005年、81歳で死去)。現地での生活を軽やかなタッチで表現した一方、未完でもある。戦地や戦後の収容所での凄惨な記憶を描き切れず、筆を折った。 /// 続きは本誌ご参照
ひと:70年前の戦犯恩赦の意味を問い続ける―加納佳世子さん(78)141
小早川遥平     転載元:朝日新聞(2023年8月15日付)
7月、フィリピンで開かれた式典で講演した。 /// 続きは本誌ご参照
シベリア抑留者 追悼集会142
東京新聞     転載元:東京新聞(2023年8月25日付)
戦後にシベリアやモンゴルに抑留され、強制労働に従事し死亡した日本人犠牲者を追悼する集いが二十三日、東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で開かれた。抑留経験者や遺族は、国による積極的な実態解明や次世代への歴史の継承を求めた。 /// 続きは本誌ご参照
デマ妄信 関東大震災143
西田直晃     転載元:東京新聞(2023年8月7日付)
人々に忘れられた虐殺がある。関東大震災直後に千葉県検見川町(現・千葉市花見川区)で、暴徒化した自警団に「不逞鮮人」と決めつけられ、沖縄をはじめとする3人の地方出身者が殺害された「検見川事件」だ。背景には、在日朝鮮人への蔑視にとどまらず、異質な存在それ自体に対する差別感情が見え隠れする。震災から間もなく100年。依然としてデマを妄信し、排他意識を振りかざす現代の日本人に与える教訓は大きい。 /// 続きは本誌ご参照
行商団9人惨殺 千葉「福田村事件」記録復刊145
林容史     転載元:東京新聞(2023年8月8日付)
1923年の関東大震災の直後、デマを真に受けた人々による朝鮮人虐殺が相次ぐ中、香川県の被差別部落出身の行商団9人が千葉県福田村(現野田市)で惨殺された。この「福田村事件」を記録したフリーライター辻野弥生さん(82)=千葉県流山市=の著書「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」が、大震災から100年を前に復刊された。辻野さんは「都合の悪い歴史であっても、きちんと記録し、若い人たちに伝えなければ明るい未来はない」と訴える。 /// 続きは本誌ご参照
映画「福田村事件」監督 森達也さんに聞く146
青柳克郎     転載元:しんぶん赤旗(2023年8月21日付)
オウム真理教者の実像を教団内部から撮ったり、政権を追及する新聞記者の姿を通じてメディアのあり方を問いかけたり――一味違う視点のドキュメンタリー映画を手掛けてきた森達也監督。初の劇映画「福田村事件」は、関東大護災時の朝鮮人虐殺にかかわる史実に基づいた群像劇です。 /// 続きは本誌ご参照
虐殺と向き合い 作品紡ぐ147
東京新聞     転載元:東京新聞(2023年8月23日付)
100年前の関東大震災で、流言を言じた自警団や軍隊が引き起こした朝鮮人虐殺に向き合う在日コリアン3世の女性がいる。現代美術家の金暎淑さん(49)=東京都目黒区。「殺される側」の自分と日本社会との摩擦を恐れて目を背けてきたが、作品作りを通じ、虐殺の史実について継承に臨む日本人の存在に希望を感じた。「事実そのものを見つめたい」と話す。 /// 続きは本誌ご参照
書評:福田村事件―関東大震災・知られざる悲劇(辻野弥生著)148
永田浩三(武蔵大教授)     転載元:東京新聞(2023年8月26日付)
関東大災時の朝鮮人への虐殺から百年。数ある出来事の中で、今大きな注目を集めるのが福田村事件である。事件の名を冠した森達也監督の映画のよりどころとなったのがこの本。旧版を全面的に加筆し、新版が生まれた。 /// 続きは本誌ご参照
亀戸事件が問うもの 消された労働活動家149
小国智宏     転載元:東京新聞(2023年8月27日付)
1923年の関東大震災の直後、デマの拡散などで多数の朝鮮人、中国人が殺害された。混乱の中、東京・亀戸で労働活動家ら十人が軍隊によって虐殺された。通称「亀戸事件」。超法規的措置が可能な戒厳令下、誰も責任をとらずに収束が図られ、真相は闇に葬られた。労働活動家らはなぜ狙われたのか。北時の時代背景、今に通ずる危機とは。事件から百年を前に考えた。 /// 続きは本誌ご参照
差別意識と恐怖感 根底に151
渡辺真由子     転載元:東京新聞(2023年8月31日付)
関東大震災直後の惨状を伝える都新聞(東京新聞の前身)の紙面を紹介する、東京新聞本社(東京・内幸町)で開催中の展示会の来場者から「人権意識が現在に比べ薄かったような気がする」と指摘を受けた。官憲や自警団が各地で起こした朝鮮人虐殺が、ほとんど触れられていないことへの違和感だ。虐殺は、なぜ発生し、隠されたのか。日本における朝鮮人の歴史に詳しい外村大・東京大大学院教授に聞いた。 /// 続きは本誌ご参照
遊女の死 誇張された悲劇152
原田遼     転載元:東京新聞(2023年9月2日付)
観音像の前で数十人が祈りをささげる。足元の4畳ほどの花園池(弁天池)にはトンボが舞い降りた。東京都台東区の吉原弁財天で1日昼前、関東大震災の慰霊法要が営まれた。 /// 続きは本誌ご参照
朝鮮人虐殺あおった新聞153
原田遼     転載元:東京新聞(2023年9月3日付)
ジョギングやサイクリングの人が行き交う土曜の荒川河川敷。2日午後3時、20~40代の16人による朗読が、関東大震災直後の光景をよみがえらせた。「京成荒川の踏切の所に朝鮮人が20人くらい殺されていたのを見ました」「私は穴を掘らされました。あとで石油をかけて焼いて埋めたんです」 /// 続きは本誌ご参照
朝鮮人虐殺正当化のヘイト団体154
安藤恭子     転載元:東京新聞(2023年9月1日付)
1923年の関東大震災時のデマにより殺害された朝鮮人犠牲者の追悼碑がある横網町公園(東京都墨田区)で、3年前に都にヘイトスピーチ発言を認定された団体が、きょう9月1日にこの碑の前で集会を行うと公表した。ヘイトが起きる恐れがあるとして、公園の利用制限を求める抗議声明も相次ぐが、都の対応は鈍い。国や行政が殺の史実と向き合わないことが、足元の差別をあおる状況を招いている。 /// 続きは本誌ご参照
許すなヘイト団体の妨害活動156
北中一永     転載元:日中友好新聞(2023年10月1日付)
日朝協会東京都連合会や日中友好協会東京都連合会などで構成される朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会は9月1日、東京都墨田区の横網町公園で、関東大震災時のデマにより虐殺された朝鮮人犠牲者らを追悼する式典を開催、会場には多くの人が集まりました。この式典に実行委員会のメンバーとして参加した日中友好協会東京都連合会の北中一永事務局長の報告を紹介します。 /// 続きは本誌ご参照
ヘイトスピーチ根絶への闘い157
安藤恭子     転載元:東京新聞(2023年10月15日付)
在日コリアンに関する発言を「悪意に満ちたデマ」と記され名誉を毀損されたなどとして、2019年の川崎市議選で落選した佐久間吾一氏(57)が神奈川新聞の石橋学記者(52)に対し、損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で東京高裁は今月、石橋記者の敗訴部分を取り消し、佐久間氏の請求を全て棄却した。新聞記者が起こされた異例の訴訟から、ヘイトスピーチとどう向き合うかを考える。 /// 続きは本誌ご参照
在日の学生ら集会 ヘイトに危機感159
東京新聞     転載元:東京新聞(2023年10月10日付)
100年前の関東大震災で起きた朝鮮人らへの虐殺をどう考える―。在日朝鮮人と日本の若者が8月、そんなテーマの集会を東京都内で開いた。ヘイトスピーチなど差別が残る日本社会では「朝鮮人が朝鮮人と言えない」と危機感を表明。虐殺否定の論調があることに「歴史が軽視される現状を変えたい」と訴えた。 /// 続きは本誌ご参照
朝鮮人虐殺の背景に160
慎蒼宇(法政大学教授)     転載元:しんぶん赤旗日曜版(2023年9月3日付)
関東大震災(1923年9月1日)時の朝鮮人虐殺の背景と現在の問題について、慎蒼宇(シン・チャンウ)法政大学教授に聞きました。 /// 続きは本誌ご参照
私たちは人間なのか:ガザ生まれの在日パレスチナ人は叫ぶ161
岸本拓也、曽田晋太郎     転載元:東京新聞(2023年11月14日付)
イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に抗議し、学生らのグループが12日、東京のJR渋谷駅前でスタンディングデモを実施した。在日パレスチナ人を含む約800人(主催者発表)の参加者が、会場のハチ公前広場を埋めた。主催者の中には、パレスチナを訪れた経験を持ち、友人がいる若者もいる。攻撃で命が次々と失われる中、どんな思いで声を上げているのか。 /// 続きは本誌ご参照
方正日本人公墓が私たちに問いかけるものとは―「方正友好交流の会」へのお誘い163
方正友好交流の会
1945年の夏、ソ連参戦に続く日本の敗戦は、旧満洲の「開拓団」の人々を奈落の底に突き落としました。人々は難民、流浪の民と化し、真冬の酷寒のなか、飢えと疫病によって多くの人たちがハルピン市郊外の方正の地で息絶えました。それから数年後、累々たる白骨の山を見た残留婦人の松田ちゑさんは方正県政府に、「自分たちで埋葬したいので許可してください」とお願いしました。その願いは方正県政府から黒竜江省政府を経て中央へ、そして周恩来総理のもとまでいき、「方正地区日本人公墓」が建立されました。 /// 続きは本誌ご参照
報告/編集後記164
大類善啓
会員諸氏、そして支援者の方々、皆さまのあたたかい会費とカンパのお陰で、このたびも「星火方正」37号を刊行することができました。誠にありがとうございました。また、寄稿いただいた方々、貴重な原稿ありがとうございました。今後もご寄稿いただければと思います。なお、原稿に挿入されている写真は、制作費用の関係ですべてカラーにはできませんでしたが、何卒ご理解いただきたいと思います。 /// 続きは本誌ご参照
 
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