↑page topHOME会報第4号目次正文
 第4号(2007年5月25日)  

故・宮沢一三さんを悼む
(方正日本人公墓の支援に尽力した生涯)

                      寺沢 秀文 (飯田日中友好協会副理事長、当会理事)  


 元満蒙開拓団員であり、方正日本人公墓の支援活動等にも尽力された長野県高森町の宮沢一三さんが昨年12月23日に肺炎と合併症のためにお亡くなりになった。享年76歳、長寿社会となった今日ではまだまだこれからというお年なのに残念でならない。
 
 宮沢一三さんは1929年(昭和4年)、長野県南端下伊那郡の山村・泰阜村の農家に生まれ、昭和18年3月に満蒙開拓団(泰阜村大八浪開拓団)の一員として単身、旧満州に渡った。16歳の時に終戦を迎え、現在の黒龍江省方正県での難民生活の時、現地の中国人に助けられ、昭和40年に日本に永住帰国するまで、22年間を方正県で農民として暮らした。

 永住帰国後はいくつかの職を経て、昭和52年に高森町内のJR飯田線「市田」駅近くに「ハルピン食堂」を開業、本場仕込みの本格的な味は多くの地域住民に愛され、特にこの店のラーメンを愛好する人も多く、その味が無くなったことを惜しむと共に宮沢さんの逝去を悼む声も多い。
 宮沢さんは帰国後も残留孤児・婦人の帰国支援や帰国者の生活の改善等のために長年頑張ってこられた。宮沢さんの郷里・泰阜村を含む下伊那郡地方(飯田市含む)は長野県の中でも最も多くの満蒙開拓団を送出した地域であり、いわば全国で最も多くの開拓団を送出した地域でもある。当然に残留孤児等も帰国者も多い。宮沢さんは帰国後、日中友好活動にも早くから参加、県内でもその活動の活発さで知られる飯伊日中友好協会(現在は飯田日中友好協会)に前身の日中友好協会飯田支部の時代から参画し、長年その役員として活動すると共に、個人的にも帰国者やその子弟等の相談相手として親身になって面倒を見てきた。また、当時から親交のあった串原義直元衆議院議員(元飯田日中友好協会会長)や森田恒雄県議(飯田日中友好協会副会長)等を通じて国や県に陳情する等して、残留孤児・帰国者支援策を実現させるためにも奔走されてきた。その功績等により方正県や日中友好協会等からも表彰状や感謝状が贈られている。
 
 当方も同じ飯田日中友好協会の役員として共に活動し、また2004年(平成16年)秋の長野県開拓自興会主催の旧東北地方友好訪中団には宮沢さんも奥さんの志ずえさんと共に参加された。既に二度も脳梗塞で倒れられ体調も余り十分ではなかった宮沢さんにとって、これが最後の方正行きとなった。旅の中で宮沢さん御夫婦より方正の話、終戦前後のお話等をいろいろと聞かせて頂いたことも今は懐かしい思い出である。
 
 宮沢さんと言えば、特に知られているのが、その経営する「ハルピン食堂」の店内に招き猫の貯金箱を置き、これを「日中友君・好ちゃん」と名付け(名付け親は飯田日中友好協会副会長でもある森田恒雄長野県議とのこと)、方正支援のためのカンパ金を集め、十数回に渡り方正公墓維持のための支援金を方正に送り続けてきた。その思いの根底にあったのは、終戦直後の貧困の中で、方正の地元の中国人たちに助けられ、その恩義をずーっと忘れないということからであった。同時に、自身が満蒙開拓団員として送り出される時、学校長や在郷軍人会の会長に「どうしても行け」と軍刀で脅されて強制的に行かざるを得なかったという理不尽な経験から、戦争や権力という理不尽なもの、また世の理不尽なこと全てに対して反発するという反骨精神の持ち主の方でもあった。方正時代から苦楽を共にされてきた奥さんの志ずえさんは、泰阜村の隣の阿南町出身であり、泰阜村開拓団員として渡満し、終戦後は方正の中国人の家に養女としてもらわれていたのを、同じ泰阜村開拓団員ということで昭和28年に方正で結婚されている。つい先日も閉店したハルピン食堂兼の御自宅をお訪ねすると、奥さんは「(2004年に)最後に夫婦一緒に方正へ行って来られて良かった」と笑っておられた。
 
 戦後60余年を経る中で、満蒙開拓を経験し、時代に翻弄された生き証人であった人達が次々と鬼籍に入られていく。そして、また一人、満蒙開拓に生き、翻弄され、それに負けなかった生き証人が旅立っていかれた。当方もこの4月16日から1週間、「旧満州を調査記録する会」(池田精孝代表)による「松花部隊」等の軌跡を辿る現地調査に参加し、その初日に薄暮の日本人公墓に墓参してきた。正面ゲートを入った辺りは昨年よりもまたさらに整備されていた。それを目にした時、宮沢さんが生前良く言っておられたこと、「日本人のための墓なのにその管理は中国の人たちがやってくれている。日本人だってもっとあそこにお墓参りに行かなくちゃいかん」という言葉が甦った。我々日本人としてなすべきことは何か。そのことがこの方正公墓からも問われている。
 
 混沌の時代を懸命に生き、方正の支援に生涯を捧げた宮沢一三さんの遺志をこれからも継いでいかなくてはならないと心し、方正公墓を後にてきた次第であった。宮沢さん、どうか安らかにお眠り下さい。合掌。

↑page topHOME

方正友好交流の会

星 火 方 正

~燎原の火は方正(ほうまさ)から~